ハライチの澤部佑さんといえば、トレードマークとなっている坊主頭が特徴的なお笑い芸人です。
デビューの頃からあの髪型で、「なぜ坊主なの?」「薄毛なのか?」と多くの人が疑問を持っています。
気になりますよね。
そこで今回のこの記事では、
・澤部佑の髪の毛:髪型の変遷
・坊主頭にした本当の理由
主にこれらについて迫っていきます。
それでは、さっそく本題に入っていきましょう!
澤部佑の髪の毛:髪型の変遷

澤部佑さんは、いつ頃からあの坊主頭にしていたのでしょうか。
澤部佑さんの髪型の変遷を見てみましょう。
小学生時代:髪の毛フサフサ期

澤部佑さんの小学校時代は、実は髪の毛が豊かだったことが明らかになっています。
『さんま&くりぃむの第10回芸能界 マル秘 個人情報グランプリ』(2011年10月15日放送)で、澤部さんの小学校時代の写真が公開されました。
この写真から、当時はボリュームのある髪型だったことが確認できます。
その頭の形と髪型から、あだ名は「大豆」。
当時は何をやっても大爆笑が起こるクラス一の人気者だったそうです。
中学時代:坊主頭への転換点

中学時代、特に中学2年生のときに澤部佑さんは大きな決断をします。
それまで短めのスポーツ刈りだった髪型を、突然坊主にしたのです。
この理由について彼は「急に坊主にしたら面白いかなって」と語っています。
しかし、坊主頭にした当初の反応は、澤部佑さんにとっては期待はずれだったようです。
面白さを狙って、しかもタイミングを計って運動会に合わせて坊主頭にしたのに、周りの反応が薄かったと言います。
本人の思惑とは別に、周りからは「似合っている」と認められて意外性がなかったのでしょうか。
「中2でボウズにしたでしょう? いきなり、運動会の日にさ。そう。いきなり。ちょっと注目されるかな?って思って。そしたら誰も、何も言ってくれないっていう(笑)。」
高校時代:様々な髪型の試行錯誤
高校生になると、おしゃれっ気が出てきた澤部佑さん。
当時流行していたベッカム選手のソフトモヒカンに影響を受け、髪型を変えることにチャレンジ。
しかし、彼が選んだのは一般的なソフトモヒカンではなく、「バキバキのモヒカン」でした。
そのほかにも「アシンメトリー」な髪型(左右で髪の長さやカット方法を変えた髪型)も試したそうですが、どれも評判は良くなかったようです。
ご本人もそれで、もう似合わないと断念して、坊主頭に戻ったと話しています。
「ボウズをずっとやっていて、高校に入ってちょっと色気づいたっていうか。で、バキバキのモヒカンにしたんだよね。周りをバリカンで刈り上げて、ジェルでガチガチに固めて。頭頂部だけのモヒカン。本当に気合の入った、それにしてたのよ。そしたら全然、やっぱり(笑)。」
出典:miyearnZZ Labo/TBSラジオ『ハライチのターン!』

坊主頭にした本当の理由

澤部佑さんが現在の坊主頭に落ち着いた理由は明確です。
彼自身の言葉を借りれば「似合う髪型がこれしかない」ということです。
TBSラジオ『ハライチのターン!』(2019.1.4)で、相方の岩井勇気さんから「新しい、新たな髪型」を提案されても、変えるつもりはないと答えています。
高校時代に様々な髪型を試した結果、どれも似合わないと感じ、坊主頭が最も自分に合っていると判断したようです。
このシンプルで切ない理由が、澤部さんの長年変わらぬ坊主頭の秘密なのです。
坊主芸人としての評価
現在、澤部佑さんは「坊主芸人ランキング」で上位に入るほど、その髪型が個性として認知されています。
坊主頭がトレードマークとなり、その個性的な風貌と相まって多くの番組で活躍しています。
芸風もそうですが、やさしさが滲み出て憎めないお人柄が、坊主頭という風貌に合っているのかもしれません。
まとめ!
今回は、澤部佑さんの髪の毛について、坊主頭に落ち着いた理由と、そこに至った経過についてお伝えしてきました。
澤部佑さんが坊主頭になったのは、「似合う髪型がない」「他の髪型が似合わなかった」という理由からで、薄毛が理由ではないことが分かりました。
中学2年生のときに「面白いと思って」坊主にしたのが始まりで、高校時代に様々な髪型を試したものの、結局、坊主頭が最も自分に合っていると判断して、現在に至ります。
シンプルながらも個性的な髪型が、今や澤部佑さんのトレードマークとなり、多くの番組で愛されるキャラクターをつくるひとつとなっています。
「ハライチ」として、岩井勇気さんとともに笑いを提供してくれるだけでなく、MCやレポーター、俳優としても幅広く活躍している澤部佑さん。
これからも、その風貌と活躍から目が離せません。
それでは、ありがとうございました!
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