太い眉でハイテンション、個性的な風貌と表現力で、多くの人を魅了する俳優として知られている加藤諒さん。
加藤諒さんは子供の頃、どのような子供だったのでしょうか?
子役としても活躍していた加藤諒さんですが、あの個性はいつ頃から出ていたのでしょうか?
気になりますよね。
そこで今回のこの記事では、
✓加藤諒の子供の頃:幼少期・異彩を放つ個性の芽生え
✓加藤諒の子供の頃:子役時代の活躍と葛藤
主にこれらについて迫っていきます。
それでは、さっそく本題に入っていきましょう!
加藤諒の子供の頃:幼少期・異彩を放つ個性の芽生え

加藤諒さんは、1990年2月13日、静岡県静岡市で生まれ、2人の姉を持つ末っ子として育ちました。
加藤諒さんは、幼少期から周囲の子供たちとは、少々異なるタイプの少年だったと言います。
2人の姉の影響で、幼い頃から女の子と遊ぶことが多く、いわゆる「男の子の遊び」をあまり知らずに育ったそうです
遊び友だちは女の子ばかりでした。姉が2人いて、幼い頃から女の子の遊びばかりしていました。それで、男の子が楽しむ遊びというのを知らなかったんです。男の子の世界が分からないので、遊ぶのは自然と女の子。
出典:yomi Dr.
加藤諒さんの子供の頃の独特の感性は、七夕の短冊に「将来は人魚姫になりたい」と書いたエピソードにも表れています。
こうした言動からは、同級生だけでなく、時には先生からも理解されず、「変だ」と言われることがありました。
しかし、加藤さんのご両親は「変だから直しなさい」とは一言も言わなかったそうです。
この大らかな家庭環境が、彼の個性を伸ばす土壌となり、現在につながるキャラクターが生まれたとも言えるでしょうか。
今だったら「不思議ちゃん」と呼ばれてしまうかもしれないですけど、ちょっと変わった子供でした。七夕の短冊に「将来は人魚姫になりたい」と書いたこともあって、親もいろいろ驚かされたみたいです。
出典:朝日新聞デジタルマガジン&
5歳からのダンスと10歳での子役デビュー

加藤諒さんは5歳の時に、姉たちの影響でダンススクールに通い始めます。
このダンス経験が後の加藤諒さんの芸能活動の基盤となりました。
小学校低学年の頃には、通っていたダンススクールを通じて地元の信用金庫のローカルCMに出演する機会を得ます。
このスクールが後に所属することになる芸能事務所と提携していたことから、東京でのオーディションにも挑戦するようになりました。
加藤諒の子供の頃:子役時代の活躍と葛藤

子役として芸能界に入った加藤諒さん、どのような活躍をされていたでしょうか。
2000年、10歳の時に加藤諒さんはフジテレビの人気番組『あっぱれさんま大先生』に出演し、芸能界デビューを果たします。
この番組の中で「名前を変えるとしたらどんな名前にしたい」という話題になり、加藤諒さんは、「くるみちゃん」と答え、明石家さんまさんから「面白い!」と、気に入られ、そのニックネームで親しまれるようになりました。
加藤諒さんにとって、明石家さんまさんに「面白い!」と認められたことは、芸能界で活動していく上での大きな自信とったと言います。
学校では理解されなかった個性が、芸能界では受け入れられる希望と感じられたのではないでしょうか。
でもさんまさんは、僕のそういうところを「おもろいやん!」と言って全部受け入れてくださった。個性は出していいものなんだよって、さんまさんをはじめ『あっぱれ~』のスタッフの皆さんに教えていただきました。
出典:朝日新聞デジタルマガジン&
加藤諒の子役時代の悩みと転機
しかしながら、加藤諒さんの子役時代は、決して平坦な道のりではありませんでした。
オーディションでなかなか合格できない日々が続いたこともあったそうです。
理由は、彼の特徴的な容姿で、加藤さん自身も「オーディションでは独特の容姿が災いした」と言っています。
「主役より悪目立ちしてる」「君にはムリだ」といった辛辣な言葉を投げかけられることもあり、加藤諒さんは深く傷つきました。
しかし、加藤諒さんには、「僕は、これしかない」という強い思いがありました。
5歳からダンスを始め、努力を重ねてきたエンターテイメントの世界は、加藤さんにとって特別な場所。
覚悟を決めてからは、自分自身を積極的に売り込むなど、チャンスを掴むための努力を惜しみませんでした。
子供時代から培ったポジティブな明るい姿勢やそして努力が、その後の加藤諒さんの成功につながっていったのですね。
それでも「個性を生かせる役が絶対にある」という気持ちは揺らがなかった。
「『顔がよくないのに何で幸せそうなんですか』と言われても、僕はそれが個性だと思っているし、ネガティブに捉えたことは全然ない。『エンタメの世界で生きるんだ』と居場所を見つけられたから、こんなにハッピーなんだと思いますね」
出典:スポーツ報知
個性が花開く転機

加藤諒さんが、転機になった作品として挙げているのが、映画『HINOKIO』(2005年)です。
中学2年生の時に出演したこの映画は、CGが相手となる撮影で、演技をするにも難しく、また全シーンリハーサルをするなど、苦労が多い作品でした。
しかし、出来上がった作品を見て感動し、「これからも役者をやりたい」と強く思うきっかけとなったのだそうです。
周りの出演者、スタッフという大人たちに助けられ、子役からしっかり俳優への道へ。
加藤諒さんの子役時代からの歩みは、「自分らしさ」を大切にすることの価値を教えてくれます。
ちょっとキツイ現場でした。でも実際できた作品を見た時に、本当に目の前にロボットが居るみたいで。「ああ、こういう仕事をしていきたい」って感動しました。あの作品があったから僕は役者を続けているんだと思います。
出典:文春オンライン
まとめ!
今回は、加藤諒さんの子供の頃について、幼少の頃から子役時代まで、どのようにあの独特な個性が培われていったのかお伝えしてきました。
5歳でダンスを始め、10歳で子役デビューしてから、現在まで独特の個性を発揮している加藤諒さん。
理解されにくい個性を武器に変え、唯一無二の表現者として、絶え間なく活躍し続けています。
エンターテナーとして、ドラマに映画、バラエティと幅広く活躍を続ける加藤諒さん。
これからも加藤諒さんの活躍から目が離せませんね。
それでは、ありがとうございました!
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